藤居酒造株式会社の藤居 徹です。
今回、HPのリニューアルに伴いまして、ブログも立ち上げました。
ここでは、お酒造りはもちろん、我が社の位置する野津町(のつまち)や大分の事などをご紹介しようと思っています。
初回となる今回は、田んぼの話です。現在、当社で使用している清酒用のお米の中で、野津町の農家さんの契約栽培のものがあります。お米の銘柄は『若水』(わかみず)という品種で、純米酒や本醸造・にごり酒などの少量生産のお酒の原料米です。
このお米の圃場(ほじょう)のある場所は、野津町の清水原(そうずばる)という場所で、読んで字のごとく、とても美しい水の流れる風光明媚な場所です。
圃場となる水田のすぐ近くには清水原湧水(そうずばるゆうすい)といわれる貯水池があります。
水門によって深さが変化するように造られており、主に農業用・生活用水として利用されています。
この清水原湧水という名前は、最近呼ばれるようになったようで、地元の人は単に『そうず』と呼んでいます。
満水時の画像で、水が青みがかって見えますが、これは、水に含まれるミネラル分の多さによるものといわれています。清水原エリアのほど近くには、風連(ふうれん)鍾乳洞という天然の鍾乳洞もあり、石灰質の多い地層によって磨かれるためではないかと思います。実際に口に含むと、かなり硬水に感じます。
ここの湧水は水温がとても低く、夏の時期でも大体15度以下で、田植えの行われる6月中旬ごろは、11度くらいとのことです。
そのため、農業用水に使う場合は、長めの水路を通すことで、水温を上げてから水田に投入するそうです。そのようにしないと、低温のために稲の生育が良くなかったりするとのことです。ちなみに、水路を通る水も、ごらんのようにかなりの透明度を誇ります。
この圃場に立ち入る際は、清水橋という、とても小さな沈み橋を渡っての立ち入りとなります。
実際この間の台風15号の時は、完全に水没していました(笑)
そして入り口にまるで門番の様にそびえる二つの石碑。左には、『天災復興碑』右には『平原開田碑』と書かれてあります。昭和初期の水害からの復興碑と開墾の記念碑ですが、とても象徴的で、美しい景色です。
これは、、生産者の方3名と、小川清酒杜氏と藤居兄弟です。2010年9月の圃場視察のときの写真です。
真ん中の麦わらの人が、リーダー役の大嶋さん。
お米の他にも、多種多様な素晴らしい野菜の生産者です。狩りもする凄い人です。
たぶんこの人の話は、今後折りに触れて出てくるでしょう。。。
今回は、清水原のご紹介でおしまいです。初回ということで長い文章になってしまいました。
今後とも気軽に、お付き合いいただければと思います。
後日 、ここでのお米の生育などのレポートを行います。